*--野平 照雄の雑記帳--*


山のおじゃまむし(40)  2006/01/06(金)
山のおじゃまむし(39)の掲載  2006/01/06(金)
山のおじゃまむし(38)の掲載  2006/01/06(金)
山のおじゃまむし(37)の掲載  2006/01/06(金)
山のおじゃまむし(36)の掲載  2006/01/06(金)
山のおじゃまむし(35)の掲載  2006/01/06(金)
山のおじゃまむし(34)  2006/01/06(金)
山のおじゃまむし(33)の掲載  2006/01/06(金)


山のおじゃまむし(40)

山のおじゃまむし(40)
飛べず歩けずそれでも害虫、ツノロウカイガラムシ

かつて私はこれが昆虫かと驚いた虫がいる。ツノロウカイガラムシだ。とにかく形が変わっている。足や羽の無いただ白い半円球のかたまり。一口に言えばこんな形だ。もちろん飛ぶことも歩くこともできない。肌はロウのようなもので覆われ、つぶすと中からジャムのような赤い汁。これがねちねちして気持ちが悪い。とてもじゃないが、昆虫とは思えなかった。大きさは5ミリ。体は小さいが、何しろ集団でいるからよく目立つ。多くの人はこの光景を見苦しいというが、私にはお正月の花餅のように見える。しかし、こんなのん気なことはいっておられないのだ。何しろ、今乗りに乗ってる庭木の大害虫だからである。
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この虫は姿以上に習性も変わっている。6月になると、あの白いかたまりから2ミリ足らずの小さな虫が沢山でてきて、チョロチョロ動き回る。この時期には足があるのだ。これが9月になると白いかたまりに変身して樹木の技にへばりつく。この時足が無くなり、これ以後歩けなくなるのである。その後、この先着者のところに仲間が次々と集まり、枝が見る見るうちに白くなっていく。ひどい時には木全体が真っ白になることがある。ところがここにいるのはすべてメス、言葉をかえれば女房衆の集まりなのである。すでにオスは死亡しメスだけが残っているのである。夫に先立たれて子育てをする女房。人間世界では涙の物語であるが、昆虫界ではよくある話なのである。それにしても女だけの大集団。すごいなー。
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今、この虫は庭木の大害虫として造園業者から目の敵にされている。何しろ庭木という庭木に寄生して養分を吸収する。木は弱り、葉が変色するからよけい見苦しくなる。時にはこれが原因で枯れることもある。業者は必死に消毒するものの、敵は手ごわい。何しろ体がロウで覆われているので、薬剤が浸透しない。薬を撒いても、撒いてもまず死なない。このため他の昆虫は駆除されても、この虫は生き残るのである。こうなると生きるための競争相手がいなくなるので、我が世の春となる。人間が行う消毒によって競争相手が駆除され、自分だけが生き残れる。あのけったいな体が薬剤をさける大きな武器となっているのである。この武器のお陰で庭木を制しているのである。
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数年前、我が家の小さな庭にもこの虫が住み着いた。とくにコブシには沢山つき、遠くからでも白く見えた。私は風流だなーと思ったが、女房や娘は気持ちが悪いという。当然、虫退治の催促。しかし、面倒くさくてなかなかやる気がしない。娘からは毎日のように催促されるも、のらりくらりと逃げ回っていた。そんなある日、ヒヨドリが訪れそのコブシに止まった。するとそこにいる例の虫を食べ始めたのである。毎日、毎日訪れ1カ月足らずでほとんど食べつくしてしまった。恐らく500匹以上はいたと思われるが、結局残ったのは群れからはずれた十数匹であった。ツノロウカイガラムシは群れをなして生息しているが、集まれば集まるほど鳥の目につきやすくなる。なぜ危険をおかしてまで、集団でいるのか。生き残った虫を見てこんな疑問をいだいているとき、女房よりまた催促。「お父さん、まだ虫がついているわよ」。
(平成6年3月)

Date: 2006/01/06(金) No.47

志賀稔  E-Mail 2007/01/06/19:11:31 No.48
自然学総合研究所
野平 照雄 様
’07年1月6日付け日本経済新聞夕刊の「響きあう天地 オオゾウムシ」の記事を読ませていただきました。誠に勝手なお願いですが、教えていただけませんでしょうか。
昨年の4月23日に、枇杷の木で長さ約10mm程度のゾウムシを見つけました。数は大変多く枇杷の実に次々と穴を開け全部やられてしまいました。このゾウムシの種類は何でしょうか。又枇杷の実が被害を受けないようにするにはどうしたら効果的でしょうか。お忙しいところ、厚かましいお願いですがなにとぞ御教示願えませんでしょうか。よろしくお願い申し上げます。
〒670−0092
姫路市新在家本町2−5−8
志賀 稔(年齢 66歳)
TEL079-294-4433
MAIL ADRESS:shigaminoru@ybb.ne.jp



山のおじゃまむし(39)の掲載

山のおじゃまむし(39)
賞金1万円、アメリカシロヒトリ

 もう14〜15年も前のことである。岐阜県環境部より依託を受けて「岐阜県の昆虫」を取りまとめたことがある。メンバーは20数人。いずれも蝶、蛾、トンボ、甲虫類など各分野の専門家だ。よく打ち合せ会と称して飲み会を開いた。勿論、話題はいつも虫。色気など全くない。そんなある日、ちょっと変ったことが話題になった。岐阜県で最初にアメリカシロヒトリを見つけたものに賞金1万円を出すという。金の出どこは蛾類学会岐阜県支部なので、酒の席とはいえ冗談話ではない。私は首をかしげた。アメリカシロヒトリといえば樹木の大害虫で、全国各地で問題になっている種である。こんな種が岐阜県にいないのであろうか。確かウメの葉に群がっている幼虫を見たはずだが、と思った。しかし、蛾の専門家から賞金までつけられるくらいだから、やっぱりあれは違うのだろうか?。こんなことを考えているうちに酒がまわり頭から離れてしまった。
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 賞金1万円に魅力を感じたものの、蛾類にあまり関心のない私はわざわざ探す気にはならなかった。ただ、見つかるとすれば岐阜市、大垣市あたりの街路樹だろうと思った。長年虫に接してきた私の直感である。しかし、この直感は見事にはずれた。それから2年後にようやく見つかったものの、それが何と誰もが予想しなかった高山市だったのである。これは大きなニュースになった。新聞、ラジオで報じられたり、折から開催中の市議会でもとりあげられるなどした。葉を綴りあわせて巣を造り、集団で食害している幼虫が何回かテレビで放映された。市民は否応なしに目にしたり耳にした。これだけ注目されるともう主役である。虫けらなどではない。やっぱり賞金1万円の虫か。私はまた1万円が頭に浮んだ。
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 とすれば、前にみた幼虫は何だったのだろうか。今度はこのことが気になってきた。再びその場所へ出かけて幼虫を見つけた。しかし、どうみてもアメリカシロヒトリである。1万円損をした。こんなことを思っているうちに幼虫から成虫となった。それが驚いたことにクワゴマダラヒトリであった。これは間違いない。成虫は明らかに違うが幼虫は姿、形それに習性までアメリカシロヒトリと全く同じなのである。アメリカシロヒトリは戦後アメリカから侵入してきた虫である。それが日本のクワゴマダラヒトリと瓜ふたつ。ということは、以前は同じ種だったのだろうか。そうに違いない。私は何百、いや何千万年前に起こったであろう種別れの光景を思い浮かべた。
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 昨年の6月、自宅前のサクラにアメリカシトヒロリが大発生した。気がついた時には葉が半分以上無くなっていた。それから1週間足らずでほとんど丸坊主になってしまった。2か月後の8月、再びこのサクラに大発生した。しかし、前に食べつくしているので、後から出てきた新葉が少しあるだけである。たちまち食べつくしてしまった。こうなるとさながら難民、いや難虫である。餌を求めてさまよい歩くも次々に死亡し、生き残ったのはほんの僅かであった。自然界は特定の種だけが増え続けることを決して許してくれない。必ずそれを抑えるものがいる。アメリカシロヒトリは年に2回発生する。しかし、2回目の発生は常に危険がともなう。もし、これが餌不足による我死をねらったものだとすれば、神様はアメリカシロヒトリに対し苛酷な手段を与えたものだと思う。
(平成6年2月)

Date: 2006/01/06(金) No.46


山のおじゃまむし(38)の掲載

山のおじゃまむし(38)
上空を舞う国蝶、オオムラサキ

 私とN氏は幼友達だ。よくヘビやカエルを捕まえて遊んだものである。それがいつの間にかチョウを追い回すようになった。小学校の3、4年生の頃だったと思う。よく出かけたのが高山市の城山公園。それも頂上。ここにはいろいろなチョウがいたので、N氏と競うように網を振り回したものである。何回か通っているうちに、上空をゆっくり舞っている大きなチョウを見かけるようになった。鮮やかに映る濃い紫色の羽。これだけで国蝶オオムラサキであることはすぐわかった。私もN氏も欲しくて仕方なかった。しかし、捕虫網のとどかないはるか上空を飛んでいるため、眺めているだけであった。こんなことが何年か続いた。幸運は中学1年の時に訪れた。オオムラサキが捕虫網のとどく所に止ったのである。N氏に肩車させて私が捕虫網を振った。「採った!」。胸が熱くなり、手足がふるった。N氏も興奮したのかバランスをくずし、二人ともずっこけてしまった。
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 オオムラサキはエノキの葉を食べて育つ。しかし、個体数が少ないので、葉を食べつくしてしまうことは決してない。それどころか、エノキにしてみればこの高貴なお方にお食べいただくので、幸せに思っているかもしれない。オオムラサキはそれくらいのチョウなのである。幼虫は晩秋になると根元に降りて落葉に止って冬を越す。翌春、エノキの芽吹きとともに再び樹上に戻り、葉を食べる。この頃から急に大きくなり、蛹化前は5僂魃曚拘檗溝世辰紳腓な幼虫となる。そして、6月下旬に成虫となって飛び出し、専ら広葉樹の樹液に集まる。これがオオムラサキの一生で、これを知ったのは中学2年の時であった。
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 それから広葉樹の樹液探しに奔走した。その甲斐があって多数いるところが見つかった。灯台もと暗しというか、城山公園と隣接している畑の周りの雑木林だったのである。ここにはたくさんいた。樹液に5、6匹群がっている光景がよく見られた。しかし、どうしたわけかN氏だけが採れて、私は近づくだけで逃げられてしまった。特にメスが全く採れなかった。私は腹がたった。そこで奥の手を考えた。ヨーロッパ産のチョウとオオムラサキのメスとの交換である。車に例えればベンツと軽自動車。明らかに詐欺である。作戦は見事に成功。ついに待望のメスを手に入れたのである。しかしそのメス、その後標本虫に食われてしまった。悪銭、いや悪蝶身につかずといったところか。私の中学生時代。何だかオオムラサキ採りに明け暮れていたような気がする。
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 最近、オオムラサキはすっかり減ってしまった。エノキが公園や神社くらいにしか残っていないからである。しかも、そこでは落葉が集められて焼却されるので、よほど運がよくないと生き残ることができない。これが現状である。今なおオオムラサキに情熱をそそいでいるN氏は、これを憂慮し保護に乗り出した。秋になると公園や神社の幼虫を採集して焼却されるのを防ぎ、これを春になると元の場所に戻しているという。毎年2千頭くらいの幼虫を保護しているというから、ただ頭が下がるだけである。この原稿を書いていたら急に懐かしくなってN氏に電話をかけた。その時、前にオオムラサキのメスをだましとったことを話した。N氏もやはり覚えていて、一生の不覚だったと笑って答えた。私とN氏。こんな調子でもう40年以上も付きあっている。
(平成6年1月)

Date: 2006/01/06(金) No.45


山のおじゃまむし(37)の掲載

山のおじゃまむし(37)
お前は馬鹿か、ハラアカマイマイ

 私が駆け出し研究員の頃、丹生川村のモミの木数本に突然毛虫が大発生した。勿論、初めて見る毛虫で、名前など分るはずがない。報告書を必死になって調べた。ハラアカマイマイであった。それには時々大発生して大きな被害を及ぼす害虫と書いてあった。この時、昆虫類が時々大発生することを初めて知った。それにしてもこの異様な光景は強烈であった。丸坊主になった枝先に無数の毛虫が群がっていたのである。恐らく何百匹という数だったであろう。下から眺めるとまるで巣を造っているようであった。しかし、これが病気だとは思いもつかなかった。
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 それから3年後、たまたまコガネムシの調査で下呂町へ行った。その時モミにいるハラアカマイマイの若齢幼虫を見つけた。また大発生ではないか。丹生川村での強烈な光景が頭から離れないので一瞬そう思った。近くのモミを調べたところ幼虫がいたのはこの1本であった。今度はよいチャンスだと思いこの虫を詳しく観察した。この時面白いことを知った。幼虫ははじめ新葉だけを食べていたが、少し大きくなると旧葉を食べるのである。新芽と旧葉。どう考えても新芽がうまいと思うが、なぜ旧葉だけを食べるようになるのか。不思議でならなかった。私は考えた。美味しいおいしいといって新葉ばかり食べ続ければどうなるか。呼吸ができないからそのうちにモミが枯れてしまう。そうなるとハラアカマイマイ自身が生きていけなくなる。だから旧葉を食べる。もし、そうだとすれば自然界で生き残る素晴らしい戦術だと思った。
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 翌年、今度は大発生となった。目につくモミは毛虫だらけである。面白いことに幼虫ははじめ高いところの針葉だけを食べていたが、ここを食べつくすと下に向かって食害し始めた。その勢いはものすごく、あっという間に木を丸坊主にしてしまった。これがあちこちで見られたため、遠くから眺めるとさながら今の松くい虫被害のようであった。しばらくすると不思議なことが起った。幼虫の多くが再び上に登って行き始めたのである。そして枝先に何匹も群がり体半分を反るようなおかしなポーズをとりはじめた。そして次々と死んでいった。この時、これが梢頭病と呼ばれているハラアカマイマイの病気であることを初めて知った。この病気があちこちのモミに発生し、ものすごい数の幼虫が死亡した。多分この影響だと思うが、次の年は全く見られなくなった。特定の種が増えればそれを抑えるものが出てくる。自然界の鉄則とはいえ、その筋書の見事さに驚いてしまった。
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 昔から”馬鹿と煙は高いところへ登りたがる”と言う。本当だろうか。確かに煙は上にあがっていく。しかし、馬鹿は必ずしもそうではないのではないか。例えば私の場合。私は家族から”お父さんはお馬鹿さんだから”とよく言われる。だから馬鹿に含まれるのだろう。この馬鹿を当てはめてみるとどうも違うようである。高度恐怖症とまではいかないまでも高いところは苦手なのである。特に新築の手伝いに行っても屋根には絶対上がらないようにしている。下を見ると足がふるうからである。だからこの語源?は間違っていると思う。私が権威ある文学博士だったら「煙と梢頭病に罹ったハラアカマイマイの幼虫は高い所へ登りたがる」に変えるのだが。
(平成5年12月)

Date: 2006/01/06(金) No.44


山のおじゃまむし(36)の掲載

山のおじゃまむし(36)
驚心動魄、キベリカタビロハナカミキリ

 数日前、久しぶりに文芸小説を読んだ。この時、初めて目にする漢字がでてきた。それは”驚心動魄”。多分”きょうしんどうはく”と読むのだろうと思い広辞苑を開いたら、やっぱりそうであった。意味は腰が抜けるほど驚くこと。要はびっくりすることであるが、こんな難しい言葉で書かれるとこれだけで驚心動魄となってしまう。これは冗談として、さて私にはこんな大驚きはあっただろうか。冗談ついでに過去にさかのぼって大驚きしたことを思い浮かべてみた。あれもあるしこれもあると色々なことが脳裏を去来するが、やっぱりキベリカタビロハナカミキリを初めて採ったとき。これが私の驚心動魄である。      
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 キベリカタビロハナカミキリは亜高山地帯に生息し、トウヒ、シラベ、オオシラビソなどを加害するおじゃま虫である。とは言うものの生息数は非常に少なくなかなか採る事が出来ない。図鑑には大珍品と書いてある。昆虫マニアなら誰しもが欲しがる言うなれば宝石なのである。私も欲しくて仕方なかった。しかし採れない。それでたくさん採っている人に譲ってほしいと頼んだら、私の持っているある虫と交換しようとのこと。この虫も珍しかったが、欲しいという気持ちが先走り1対1の交換。ついに待望の宝石を手にしたのである。初めはこれで喜んでいたが、次第に自分で採集したいという気持ちが強くなってきた。これは昆虫マニアなら誰しもがたどる経緯で、半ば欲望みたいなものなのである。虫欲とでもいおうか、この欲が私は人一倍強かったのである。
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 私がキベリカタビロハナカミキリを初めて採ったのは昭和38年7月30日。場所は御嶽山中腹の伐採木集積場。ここへ飛んできたのである。長い足が邪魔なのかいかにも飛びにくそうに低空飛行していた光景は今でも忘れる事はできない。ところが不思議な事にこれ以降あれほど縁のなかった虫が、次々と採れだしたのである。その後10年間で100頭も近く採れたのである。しかし、2番目以降のことはあまり覚えていない。驚心動魄とならなかったのである。さて、前にこの虫と交換するために私が手放した虫はどうか。その後、さっぱり採れない。私が知るかぎり岐阜県で2頭採れているだけである。こんな貴重な虫と交換したのだからえらい大損をしたものだと悔やまれてならない。そういう私も前に友人を誤魔化して珍しい虫を手に入れたことがあるので、この報いがきたのかも知れない。「昆虫を愛する人」。一見心清き人の集まりと思われる世界でも、狐と狸の騙し合いが繰り返されているのである。
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 実はキベリカタビロハナカミキリを初めて採集した日に私は3回も腰を抜かしている。前日、宿泊していた営林署の山小屋でそこの主任さんと大酒を飲んだ。このため翌日はひどい二日酔い。頭が痛いだけでなく、足もとも定まらなかった。こんな状態で出かけたものだから、すべってころんで切り株で腰を強打ししばらく立ち上がれなかった。これが第1回目。そして待望の虫を採って感激のあまり腰抜けとなってしまった。これが2回目。3回目はその夜である。再び主任さんと酒を飲んだ。祝杯である。ついつい飲み過ぎて今度は本当に立てなくなってしまった。驚心動魄。この虫を見るたびにこの言葉と、あの日のことが脳裏を掛け巡る。もう30年も前の事である。
(平成5年11月)

Date: 2006/01/06(金) No.43


山のおじゃまむし(35)の掲載

山のおじゃまむし(35)
トチカンジョ、クスサン

 確か小学校5年生の時だったと思う。よく木登りをして遊んだ栗の木が突然丸坊主になった。その木には大きな毛虫がたくさんいて、盛んに上り下りしていた。しかし、この時はただ毛虫がいるという程度で、名前を知ることなく過ぎてしまった。それから数年後、今度は学校近くの栗の木で同じ光景を目にした。中学3年の時である。この時祖母が「これはトチカンジョだよ」と教えてくれた。トチカンジョ。この呪文のような言葉を聞いたのはこれが最初である。さらに2年後、またまたこの毛虫の大集団を目にした。この時トチカンジョというのは飛騨の方言で、クスサンという蛾の幼虫であるということを初めて知った。
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 そう言えば私がこの毛虫をつかんのはこの時が初めてである。8僂呂△辰燭任△蹐Δ、とにかく大きな幼虫であった。体は毛だらけ。しかもつまむと口から茶色の液を出して抵抗する。とてもじゃないが、2度と触る気にはなれなかった。それが虫相手の仕事を選んでから、何回触ったであろうか。そのうちに全く気にならなくなった。それどころか飼うと愛らしさすら感じた。特に蛹から成虫になった時は感動的であった。繭を食い破って出てきた成虫は見る見るうちに翅が開き、大きな大きな蛾になったからである。翅を広げると15僉見るからに飛翔力が強そうであった。しかし、そうではなかった。この大きな翅が邪魔になるのかうまく飛べないのである。翅をバタバタさせて飛ぶ姿はまるでコウモリのようであった。かつてこんな光景にであったことがある。街灯にこの虫が群をなして飛来し、飛び回っていた。そのうちに虫同志が衝突し下へ落ちてきたのである。落ちた蛾は大きな体がわざわいしてなかなか飛び立つことが出来ない。すると突如大きなガマがそれに飛びつき翅もろとも食べてしまったのである。食べる者と食べられる者。弱肉強食の世界とはいえクスサンが可哀相であった。
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 昭和40年代の前半はなぜかこの虫がクリ、ナラ、イチョウに大発生した。こうした場合対策に苦労するものだが、全く心配なかった。なにせ当時は特効薬BHCの全盛期。決まったように「BHCを撒きなさい。」このひと言ですんだからである。聞く人が患者で答える人が医者であるとすれば、間違いなく薮医者である。そんなある日、古参Agから大叱られをした。BHCが効かないというのである。そんな馬鹿なことはないと思いその場所へいくと、そのとおりなのである。放っておくわけにもいかないので慌ててDEP剤を撒いた。多分効くだろうとの思いの、半ば賭けのようなものであった。賭けは見事にあたった。大きな毛虫がバタバタ落ちてきたのである。BHC神話の崩れた瞬間であった。それ以来、薬剤選びは慎重になったので、私にとってはよい教訓となった。               ×   ×   ×   ×   ×
 先般、ある人が訪ねてみえた。街路樹のイチョウに発生した虫の名を教えてほしいという。2兮らずの小さな毛虫であったが、よく見るとクスサンであった。クスサン?。その人は首をかしげた。飛騨育ちと聞いたので、今度は「トチカンジョですよ」。その人は「あの大きな毛虫ですか」。これで一件落着。あとはトチカンジョの話となった。初めは丁寧な言葉で喋っていたが、そのうちに飛騨弁丸出しとなり、本場で話しているようなトチカンジョ談義となってしまった。
(平成5年9月)

Date: 2006/01/06(金) No.42


山のおじゃまむし(34)

山のおじゃまむし(34)
1ミリ千円、オオクワガタ

 昆虫の名前に「オオ」とつく虫がいる。体が大きいからだ。図鑑を開くとちょいちょい目につく。なるほど大きいのがいる。しかし、中には小さいのに「オオ」とついているものもいる。こうした種は小さくてもその仲間では大きいのである。小さいのに大きいなどとややこしい話であるが、正真正銘大きいから「オオ」と名付けられた虫がいる。子供たちの人気者「オオクワガタ」である。これは大きい。身長は5僂鬚罎Δ鳳曚后それに横幅があるから、よけい大きく見える。相撲界でいえば小錦、いや曙くらいであろうか。それくれい大きいのである。昆虫類の中には大きいために、気持ちが悪いと言って嫌われるものがいる。しかし、オオクワガタは別で、大きければ大きい程喜ばれる得のある虫なのである。
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 オオクワガタはコナラ、クヌギなどの木の中にいる。だから木に穴をあけるおじゃま虫だと思っている人もいるようである。しかし、これは違う。彼らはこうゆう場所を探して身を潜めているのである。そして、夜になると寝ぐらから出てきて食事をとってエネルギーを蓄え、激しい?恋をして子供(卵)を産む。この繰り返しを何年も続けているのである。産卵場所は広葉樹の朽木。幼虫はここで3〜4年過ごし成虫となる。成虫となってからの寿命がこれまた長い。普通4〜5年、長いのになると8年にもなるという。この間子供を産み続けるのだから、さぞかし生息数の多い虫だと思うのだが、それは全く逆で極めて少ない。だから野外で見るのは非常に難しい。もし出合ったとすれば、よほど運がよかったのであろう。
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 ここ数年、オオクワガタブームが続いている。昆虫専門誌では昆虫ギネスブックと称して大きさを競い、チャンピオンになると体長、つのの長さ、それに虫の保持者の名前などが公表されている。記録は次々と更新され現在の王者は7センチ6ミリである。専門家の予想ではオオクワガタの究極の大きさは8センチ。これを越えるのがでるかでないか。しばらくはミリ単位の攻防が続きそうである。ブームが起ればそこに目をつけた商売がかならず出てくる。オオクワタタも同様で、今商品として売られているのである。値段は何と1ミリ千円。だから今のチャンピオンは1匹7万6千円ということになる。これがよく売れているというのだから、世も様変わりしたものである。
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 私がオオクワガタを知ったのは高校1年の時である。図鑑にはめったに採れない大珍品と書いてあった。いうなれば宝物である。よしオオクワガタを採ろう。この時から私の宝物さがしが始った。しかし、探すのが下手なのか運がないのか30数年経っても未だ見る事さえできない。もし、この世に神様がいるのであれば、一度でよいからあの大きくて迫力あるオオクワガタを是非野外で見せてもらいたいものである。この宝物を私の知人O氏は2匹も持っている。大きさは6僉G笋譴丕極円。これが2匹だから12万円ということになる。まあ、ちょっとした財産、いや財虫家だ。かって私は女房に宝物探しについて話をしたことがある。女房は大変興味を示し、是非みつけなさいという。さすが女房。と思うか思わないうちに次の言葉。「洗濯機の調子が悪いので、早く探してね」。どうも虫を売って洗濯機を買いたいらしい。女房がからむといつも生活じみた話になってしまう。
(平成5年8月)

Date: 2006/01/06(金) No.41


山のおじゃまむし(33)の掲載

山のおじゃまむし(33)
真面目虫も甘い香にはついふらり、チャイロホソヒラタカミキリ−

 十年一昔と言うから、もう二昔以上も前のことである。当時、私は独身。紅顔の美青年と言いたいところだが、まあ並程度といったところか。しかし、女性に縁遠かったことからするとそれ以下であったのかもしれない。だから、休日は決まったように山へ虫採りにでかけた。そして、夜は一目散に飲み屋へ直行。これが私の青春時代であった。そんなある日、いつものように行き着けの飲み屋で馬鹿飲みし、酔っ払って下宿へ戻った。いつもならそこで、グテン、グウーとなるのだが、どうしたわけかその日に限って眠れなかった。するとどこからか「シャリシャリ、シャリシャリ」と変な音。これがいつまでも続いた。気になって眠れないので音の出どこを探すも、酔っているせいかどうしてもわからなかった。翌朝、改めて耳をすますと間違いなく音がした。しかも、この音は意外なところから発せられていた。
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 発信場所は、長さ1m足らずのコナラ丸太であった。この丸太は実験材料用として山から持ち帰ったものであるが、まさか音を発するなんて思いもかけなかった。こんなことってあるのだろうか。まるで夢を見ているようであった。震源地を探すため少し皮を剥いでみた。するとそこに1兪宛紊稜鬚ね鎮遒びっしり入っており、盛んに加害しているのが観察された。音の出どこは多数の幼虫が木をかじる時におきていたのである。長い間虫を眺めているが、こんなことは後にも先にも初めてであった。そして、さらに驚くことがあった。それはどの幼虫も腹を樹皮部に向けているのである。普通、木の中で生活する幼虫は背中を樹皮部に向けて木部を食べているが、この虫は逆さまだったのである。この得体の知れない幼虫は形からしてカミキリムシの仲間であることは想像できたが、種名まではわからなかった。そこで、この虫の正体をつきとめるため面倒だと思いつつ飼育を始めた。
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 それから2ヵ月後、小さな虫がぞろぞろ出てきた。赤い胸にるり色の翅。いずれもチャイロホソヒラタカミキリであった。つまり音を出す張本人はこの舌を咬むような長い名前の虫だったのである。チャイロホソヒラタカミキリは色々な広葉樹に潜り込んで木部を食べる。しかし、加害するのは枯れた木ばかりなのでほとんど問題になることはない。ところが、シイタケ原木に発生した時は大ごとだ。シイタケの収量が大幅に少なくなるからである。かつてある栽培者のホダ場で大発生したことがある。ホダ木の半数以上が被害を受け、それは凄慘なものであった。ホダ木に群がる無数の成虫。その光景は今でも目に浮ぶ。ところが不思議なことに隣のホダ場では全く発生していなかったのである。偶然なのだろうか。もしそうだとしたら、それこそ神がかり的だなーと思ったものである。この謎は今でも謎である。
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 私は今までにこの虫を野外で何回となく見てきた。しかし、いずれも薪や伐採木の上を徘徊しているものばかりで、花や葉の上では見たことがなかった。この虫は飲まず食わずで、ただ自分たちの子孫を残す。このことだけに生きがいを感じる真面目虫だと思ってきた。それが誘引剤で捕獲されたのである。なんだ、この虫もやっぱり甘い香にはほろほろっとするのか。今度はこう思った。それはアルコールが入ると途端に翅が生え、赤いネオンにふらふらっとして、夜の巷を徘徊する自分の姿が脳裏に浮んだからである。
      (平成5年6月)

Date: 2006/01/06(金) No.40


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